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今日は関係ない記事をもう一つ。
私の経歴についてお話します。大阪府庁に入庁してからの配属先などは前のブログで少しお話しましたが、今日はもう少し詳しくお話します。
私は、堺市生まれの堺市育ちです。大学時代は京都に住んでいましたが。
昭和59年3月、大阪府立三国丘高校卒業。
昭和59年4月、京都大学法学部入学。
本来なら、昭和63年3月に大学を卒業するはずですが、司法試験の学習のため、単位を一科目分あえて取得せずに残し、大学に残りました。
昭和63年(大学5年時)、国家公務員Ⅰ種試験と大阪市役所の大学卒程度行政職試験に合格。司法試験は短答試験(択一式試験)のみ合格。国家公務員のほうは、ペーパーテストに合格するだけでは採用されなくて、夏休みの暑い時期に官庁周りをして面接を受け、内定をもらう必要があります。もともと東京に住んだり、全国に転勤のある仕事はいやだったので、官庁周りはせず。大阪市役所のほうは試験合格イコール採用ですが、辞退し、司法試験の勉強を続けることにしました。
平成元年(大学6年時)、司法試験論文式不合格。大阪府庁行政職大学卒程度試験合格。24歳になったこともあり、いいかげん仕事をすべきだと考え、大阪府庁に入庁することとしました。この時点では、「役所づとめなら司法試験の勉強をする時間くらいあるだろう」というとんでもなく甘い気持ちがありました。
平成2年4月、大阪府庁入庁。
平成2年4月~平成4年3月 大阪府教育委員会文化財保護課博物館建設準備室に配属される。
大阪府立弥生文化博物館と大阪府立近つ飛鳥博物館の2つの建設を平行して進めるという仕事。しかも、他県の博物館建設に比べ、半分の人員で半分の時間でやってしまおうというとんでもない職場。毎日帰りは深夜のタクシーで、電車は朝しか使わないので、定期券は購入せず、回数券を使用していました。あまりの激務による疲労のせいか、私の直属の上司が、業者との打ち合わせ中に急に声が聞こえなくなったと思ったら、机の上につっぷして気を失っていました。
平成4年4月~平成6年3月 福祉部大阪府立砂川更生福祉センターに配属される。
この施設は、精神薄弱者が住んでいる施設です。総務課で、施設の建替え工事にともなう連絡調整や土地の境界確定作業、職員200人の旅費の支給などをやっていました。残業は毎日2~3時間程度で、この職場は結構余裕がありました。
平成6年4月~平成8年3月 大阪府選挙管理委員会(総務部地方課選挙係兼務)に配属される。
選挙がないときは、主に、ときどきニュースでも話題になる「政治資金収支報告書」の受付や公開業務をやっています。政党の支部、○○政治研究会、○○○○後援会、政治結社○○会(いわゆる右翼団体ですね)など、政治団体といってもいろいろあり、業務量は結構多いです。大変なのは選挙があるときです。選挙の3ヶ月前からは1日も休みなし。平日は毎晩帰りは終電かタクシー。土日出勤するときは、朝がゆっくりなので、ずいぶん体が楽に感じたものです。選挙が1回あると、残業代だけで普通車が買えます。お金を使う時間もないですから。このときの無理がたたり、腰痛等の体調の不良が起こり始めました。
平成8年4月~平成12年3月 大阪府地方労働委員会審査課に配属される。
この職場は、何を審査するのかというと、「会社が労働組合員に対して不当労働行為を行ったかどうか」を審査する職場です。不当労働行為とは、労働組合活動を行ったことを理由に、減給や昇格差別、果ては解雇などの不当な行為を行ったかどうか、ということです。委員会の委員は、①公益委員(弁護士、大学教授等)、②労働者委員(大手労働組合の役員等)、③使用者委員(大手企業の役員)で構成されています。不当労働行為を受けたと主張する労働組合が、裁判のように、「不当労働行為救済申立書」を地方労働委員会に提出し、民事訴訟とそっくりの手続が開始されます。労働者側、使用者側とも、裁判のように、弁護士を代理人として立ててくるケースがほとんどです。裁判所で言えば、公益委員が裁判官、我々職員が書記官のような役目をします。ただ、公益委員は非常勤なので、我々職員は、過去の判例を調べたり、争点を整理したりなどの作業を数おおくこなす必要があります。弁論準備期日や弁論期日が開催され、書証や証人尋問などの証拠調べが行われます。そして、証拠調べが済んだら結審をして、裁判所の判決にあたる「命令」を発します。この命令書の体裁は、民事訴訟の判決書とそっくりです。事実認定と労働委員会の判断がずらずらと記載されています。
このころから、私は、このまま役所づとめをするよりは、資格を取得して独立開業したいという考えを強く抱くようになりました。父が土地家屋調査士をしていることもあり、自分が司法書士の資格を取得してコンビで仕事をすれば効率的であることから、このころは、司法書士の勉強をしていました。
平成12年4月~平成16年3月 土木部大阪府富田林土木事務所に配属される。
私の希望としては、土木事務所のような出先機関ではなく、本庁でバリバリ仕事をしたかったのですが、選管時代から体調を崩していたのが回復していなかったため、「本庁の激務には耐えられない」と判断されたようです。
結局、この職場が大阪府庁での最後の職場となりました。父の跡を継いで仕事をする決心をしたのです。相変わらず体調が悪かったこともあります。
体調不良の原因は、わかりやすいところでは腰痛(椎間板の損傷)なのですが、もっとやっかいな病気(うつ)にかかっているようでした。心療内科には今にも通院していて、薬を飲みながら、父の事務所の仕事をしつつ、資格試験の勉強をしています。精神的な病ですので、大学受験や国家公務員Ⅰ種試験に合格したころのような沸き立つような意欲がないのが悩みです。
今年は、土地家屋調査士試験と、行政書士試験を受けます。体調のこともあり、なかなか勉強もはかどりませんが、土地家屋調査士にはなんとしても合格したいと思っています。
蛇足ですが、世間は広いもので、「少し勉強すれば弁護士になれる」とか思っていらっしゃる方もおられるようです。これは、昨今の資格試験の熾烈さを全く理解されていない誤った発言と言えるでしょう。司法試験とはいいませんが、まずは宅建あたりを受験してみて、現実の厳しさを味わうのがよいのではないでしょうか。いい勉強になると思います。
私の経歴についてお話します。大阪府庁に入庁してからの配属先などは前のブログで少しお話しましたが、今日はもう少し詳しくお話します。
私は、堺市生まれの堺市育ちです。大学時代は京都に住んでいましたが。
昭和59年3月、大阪府立三国丘高校卒業。
昭和59年4月、京都大学法学部入学。
本来なら、昭和63年3月に大学を卒業するはずですが、司法試験の学習のため、単位を一科目分あえて取得せずに残し、大学に残りました。
昭和63年(大学5年時)、国家公務員Ⅰ種試験と大阪市役所の大学卒程度行政職試験に合格。司法試験は短答試験(択一式試験)のみ合格。国家公務員のほうは、ペーパーテストに合格するだけでは採用されなくて、夏休みの暑い時期に官庁周りをして面接を受け、内定をもらう必要があります。もともと東京に住んだり、全国に転勤のある仕事はいやだったので、官庁周りはせず。大阪市役所のほうは試験合格イコール採用ですが、辞退し、司法試験の勉強を続けることにしました。
平成元年(大学6年時)、司法試験論文式不合格。大阪府庁行政職大学卒程度試験合格。24歳になったこともあり、いいかげん仕事をすべきだと考え、大阪府庁に入庁することとしました。この時点では、「役所づとめなら司法試験の勉強をする時間くらいあるだろう」というとんでもなく甘い気持ちがありました。
平成2年4月、大阪府庁入庁。
平成2年4月~平成4年3月 大阪府教育委員会文化財保護課博物館建設準備室に配属される。
大阪府立弥生文化博物館と大阪府立近つ飛鳥博物館の2つの建設を平行して進めるという仕事。しかも、他県の博物館建設に比べ、半分の人員で半分の時間でやってしまおうというとんでもない職場。毎日帰りは深夜のタクシーで、電車は朝しか使わないので、定期券は購入せず、回数券を使用していました。あまりの激務による疲労のせいか、私の直属の上司が、業者との打ち合わせ中に急に声が聞こえなくなったと思ったら、机の上につっぷして気を失っていました。
平成4年4月~平成6年3月 福祉部大阪府立砂川更生福祉センターに配属される。
この施設は、精神薄弱者が住んでいる施設です。総務課で、施設の建替え工事にともなう連絡調整や土地の境界確定作業、職員200人の旅費の支給などをやっていました。残業は毎日2~3時間程度で、この職場は結構余裕がありました。
平成6年4月~平成8年3月 大阪府選挙管理委員会(総務部地方課選挙係兼務)に配属される。
選挙がないときは、主に、ときどきニュースでも話題になる「政治資金収支報告書」の受付や公開業務をやっています。政党の支部、○○政治研究会、○○○○後援会、政治結社○○会(いわゆる右翼団体ですね)など、政治団体といってもいろいろあり、業務量は結構多いです。大変なのは選挙があるときです。選挙の3ヶ月前からは1日も休みなし。平日は毎晩帰りは終電かタクシー。土日出勤するときは、朝がゆっくりなので、ずいぶん体が楽に感じたものです。選挙が1回あると、残業代だけで普通車が買えます。お金を使う時間もないですから。このときの無理がたたり、腰痛等の体調の不良が起こり始めました。
平成8年4月~平成12年3月 大阪府地方労働委員会審査課に配属される。
この職場は、何を審査するのかというと、「会社が労働組合員に対して不当労働行為を行ったかどうか」を審査する職場です。不当労働行為とは、労働組合活動を行ったことを理由に、減給や昇格差別、果ては解雇などの不当な行為を行ったかどうか、ということです。委員会の委員は、①公益委員(弁護士、大学教授等)、②労働者委員(大手労働組合の役員等)、③使用者委員(大手企業の役員)で構成されています。不当労働行為を受けたと主張する労働組合が、裁判のように、「不当労働行為救済申立書」を地方労働委員会に提出し、民事訴訟とそっくりの手続が開始されます。労働者側、使用者側とも、裁判のように、弁護士を代理人として立ててくるケースがほとんどです。裁判所で言えば、公益委員が裁判官、我々職員が書記官のような役目をします。ただ、公益委員は非常勤なので、我々職員は、過去の判例を調べたり、争点を整理したりなどの作業を数おおくこなす必要があります。弁論準備期日や弁論期日が開催され、書証や証人尋問などの証拠調べが行われます。そして、証拠調べが済んだら結審をして、裁判所の判決にあたる「命令」を発します。この命令書の体裁は、民事訴訟の判決書とそっくりです。事実認定と労働委員会の判断がずらずらと記載されています。
このころから、私は、このまま役所づとめをするよりは、資格を取得して独立開業したいという考えを強く抱くようになりました。父が土地家屋調査士をしていることもあり、自分が司法書士の資格を取得してコンビで仕事をすれば効率的であることから、このころは、司法書士の勉強をしていました。
平成12年4月~平成16年3月 土木部大阪府富田林土木事務所に配属される。
私の希望としては、土木事務所のような出先機関ではなく、本庁でバリバリ仕事をしたかったのですが、選管時代から体調を崩していたのが回復していなかったため、「本庁の激務には耐えられない」と判断されたようです。
結局、この職場が大阪府庁での最後の職場となりました。父の跡を継いで仕事をする決心をしたのです。相変わらず体調が悪かったこともあります。
体調不良の原因は、わかりやすいところでは腰痛(椎間板の損傷)なのですが、もっとやっかいな病気(うつ)にかかっているようでした。心療内科には今にも通院していて、薬を飲みながら、父の事務所の仕事をしつつ、資格試験の勉強をしています。精神的な病ですので、大学受験や国家公務員Ⅰ種試験に合格したころのような沸き立つような意欲がないのが悩みです。
今年は、土地家屋調査士試験と、行政書士試験を受けます。体調のこともあり、なかなか勉強もはかどりませんが、土地家屋調査士にはなんとしても合格したいと思っています。
蛇足ですが、世間は広いもので、「少し勉強すれば弁護士になれる」とか思っていらっしゃる方もおられるようです。これは、昨今の資格試験の熾烈さを全く理解されていない誤った発言と言えるでしょう。司法試験とはいいませんが、まずは宅建あたりを受験してみて、現実の厳しさを味わうのがよいのではないでしょうか。いい勉強になると思います。
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Re:高卒の年からいくと
遅い時間になりましたが、コメントありがとうございます。
私は昭和40年(1965年)8月生まれですので、昭和59年3月に高校を卒業することになります。今年44歳になります。
私は昭和40年(1965年)8月生まれですので、昭和59年3月に高校を卒業することになります。今年44歳になります。
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